街道の歩き方
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川越しとは

川越しの様子が描かれた浮世絵

江戸時代における街道旅の難所といえば峠をイメージするかもしれませんが,実はそうではありませんでした。 確かに中山道の峠のように厳しい峠もありましたが,たいていの街道の峠はできるだけ標高の低いところを通るように工夫されていました。

事実天下の険と言われた箱根の峠でも,標高差は800m程度でちょっとした山登り程度ですし石畳も整備されているので歩けないことはありません。 当時はそれよりも川が問題でした。

川がなぜ難所?

川がなぜ難所なのかというと,当時の川には小さなものなどを除いて橋はほとんどかかっていませんでした。 これは防衛上の目的と言われていましたが,それ以前に橋を架ける技術が未熟だったことの方が大きいようです。

ところで橋のない川を渡ったことがありますか? 私は何度かあるのですが,見た目は穏やかそうでも川を徒歩で渡るのは案外大変です。 見た目より深かったり,水流が強くて押し流されそうになったり。

橋があればなんてことのない川ですが,橋がないと一気に難所と化してしまうのです。

川越し

江戸時代の川越しも例外ではありません。 徒歩で渡れるような浅い川は徒歩渡しで渡っていましたが,そうでないような深い川は肩車越し(人足が旅人を肩車して川を越す)や蓮台越し(冒頭の浮世絵にあるような人足数人が台を担いでその上に人を乗せる),棒渡し(両岸に棒をわたしてその棒につかまって渡る),船渡しなどで渡っていました。

ちなみに料金はその時の川の深さなどで変動していたようです。 また当然肩車越しなどと比べると蓮台越しは必要な人足が多いので料金も高いです。 中にはボッタクリみたいなのもあったようで・・・

川止め(川留)

しかし人間が立てなくなるくらい増水するともうどうしようもありません。 川止め(川留)で川越し中止です。 お天道様には逆らえません。

このため川越しを控えた宿場というのは,宿場の中でも川待ち宿(川越宿場)として賑わっていたそうです。 そりゃそうですよね,川止めが長引いて数週間足止めということもあったそうですから。

また元々は宿場ではなかったところでも,川の近くには川止め時の臨時宿みたいなのが自然発生する傾向にありました。 そういった宿が川止めじゃないときに旅人を泊めて本来の宿場ともめたり・・・ということもあったそうで。

橋がかけられなかったもう一つの理由

このように川の周辺はお金や利権が動く場所だったようです。 江戸時代でも時代が下るにつれて架橋技術が進歩し,川に橋をかけようという動きもあったようですが,川越宿場や人足たちの反対でなかなか実現できなかったという側面もあったみたいです。

こういうことを知ると,普段何気なく使っている「橋」というものがいかに偉大なものであるのかがわかりますね。