街道歩きレポート:旧山陽道(西国街道):広島~西条
![街道歩きレポート:広島~西条のログ](/src/img/rp_hiroshima-saijo.jpg)
2020年3月14日に旧山陽道(西国街道)を広島から西条まで歩いてみました。この区間のルート情報は↓からどうぞ。
旧山陽道(西国街道):西条~瀬野のルート情報 旧山陽道(西国街道):瀬野~広島のルート情報広島~船越峠
![三本松](/src/img/sanbonmatsu1.jpg)
![三本松案内板](/src/img/sanbonmatsu2.jpg)
広島駅を午前9時ちょうどに出発しました。 駅から北東へ真っすぐ伸びる街道をしばらくまっすぐ進むと右手に三本松という史跡を発見。
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際,九州名護屋城から大阪へ戻る時にこの街道沿いに並木松を植えたという伝説があり,植えられた並木松のうち後世に残った古株3本を三本松と呼ぶようになったのだそうです。
その先を右に曲がります。 曲がったらまたしばらくまっすぐ進み,車が多いあけぼの通りへ。 ここから船越峠まではおおむねこの道路に沿って,途中脇道にそれたりしながら進んでいきます。
船越峠~海田市宿
![船越峠の様子](/src/img/funakoshi-path.jpg)
![船越の常夜灯付近の交通状況](/src/img/kaitaichi-joyato1.jpg)
船越峠を過ぎると急に道が狭くなり歩道もなくなります。 しかしこの道路は抜け道で車の通行がやたらと多いので,ここから海田市宿までの間は注意です。
海田市宿
船越の常夜灯付近から町並みも宿場町っぽくなり,鍵型道路(枡型)なども出てきます。
![海田市宿の鍵型道路の様子](/src/img/kaita-kagi-road.jpg)
街の中心部では今も数軒旧家が残っています。
![三宅家住宅外観](/src/img/miyake-house1.jpg)
![三宅家住宅案内板](/src/img/miyake-house2.jpg)
![千葉家住宅外観](/src/img/chiba-house1.jpg)
![千葉家住宅案内板](/src/img/chiba-house2.jpg)
千葉家住宅は脇本陣としても使われていたようです。 この周辺にはほかにも本陣跡,脇本陣跡などの案内板もありますが,当時をしのばせるような遺構は特にありません。
宿場の中心部からしばらく進むと,鋸歯状の町並みが少し残っています。 卯建が残る建物もあったりしてなかなか素敵です。
![海田市宿の鋸歯状の町並み](/src/img/kaita-saw-road.jpg)
海田市宿~一貫田
海田市宿を過ぎると車も減って歩きやすくなります。 しばらくすると瀬野川へ出ます。 川沿いに旧山陽道では希少になりつつある街道松が約200m弱にわたって残っています。
![中野砂走の出迎えの松](/src/img/nakano-demukae-no-matsu1.jpg)
![中野砂走の出迎えの松案内板](/src/img/nakano-demukae-no-matsu2.jpg)
並木道を過ぎると旧山陽道は再び瀬野川から離れます。 JR安芸中野駅を過ぎたあたりから,徐々に坂道が始まっていきます。
![中野~瀬野の小さな峠](/src/img/nakano-seno.jpg)
こんな感じの緩やかな坂を登ったり下りたりしながら徐々に標高を稼いでいきます。
瀬野を過ぎて一貫田の集落です。 この辺りは間の宿だったそうですが,あまりそれらしさは感じられません。 ここから八本松までは飲食店・コンビニ・自販機一切ありません。 峠も越さないといけないハードな区間です。 食料や水などに不安があるときは,一貫田のコンビニなどで補充しておきましょう。
一貫田~大山峠~八本松
一貫田の集落を出るところで,国道2号線を信号無しで渡らないといけません。 交通量は相当なので,自信がない人は100m西にある一貫田交差点で渡りましょう。
![一貫田の信号なしの横断か所](/src/img/ikkanda.jpg)
この先は抜け道でもないので車もほとんど通らず,のどかな道を歩くことができます。
![一貫田~大山峠の街道の様子](/src/img/ikkanda-oyama.jpg)
途中,吉田松陰の歌碑があります。
![吉田松陰の歌碑](/src/img/seno-syoin1.jpg)
![吉田松陰の歌碑案内板](/src/img/seno-syoin2.jpg)
吉田松陰は何度かこの旧山陽道を行き来していますが,この歌が詠まれたのは安政の大獄で捕らえられ,罪人として萩から江戸へ送られるときのものです。 この他にも旧山陽道沿いには吉田松陰関係の史跡がいくつかあり,そういったものを追いかけるのも面白そうです。
歌碑を過ぎると再び国道2号線を信号なしで渡ります。
![一貫田~大山峠の信号なし横断か所その2](/src/img/ikkanda-oyama2.jpg)
ここも200mほど西へ行くと押しボタン式の信号機があるので,自信がない人はそちらを渡りましょう。
この辺りから坂道も急になってきていよいよ大山峠に近づいてきました。 しかしなんだかあちこちで工事をしています。嫌な予感が。
![大山峠入口](/src/img/oyama-path1.jpg)
しばらく行くと道がなくなってしまいました。
![上瀬野~大山峠の土石流](/src/img/oyama-path2.jpg)
どこに道があったのかすらわかりません。 この付近にあるはずの「代官おろし跡」や「馬子唄発祥の地」の案内板は見つけられませんでした。 2018年の西日本豪雨は広島県内でも多くの地域が被災しましたが,大山峠もこんなにひどいことになっているとは知りませんでした。
平成30年7月豪雨-Wikipedia途中にあった砂防堰堤の工事現場には,「旧山陽道迂回路」が設けられていたのでいくらかは歩いている人がいるのかもしれません。
![大山峠砂防堰堤工事現場](/src/img/oyama-path3.jpg)
私が歩いた日は休日だったので工事はしていませんでしたが,平日に歩く際は工事のじゃまにならないようにしましょう。
それにしても道もクソもあったものではないので,ジオグラフィカで地形図を見て,旧山陽道が通っていたと思われる谷筋を強行突破します。 しかし土石流エリアを過ぎても道らしいものはなく,あるのは藪だけです。 ようやく道に出会えたのは峠の頂上近くになってからでした。
![大山峠頂上](/src/img/oyama-path4.jpg)
![大山峠案内板](/src/img/oyama-path5.jpg)
頂上近くには「大山の清水」という湧き水がありましたが,残念ながら飲めそうな感じではありません。
頂上から八本松方面へ下る途中も,上りほどではありませんが崩れていました。
![大山峠~八本松の土石流](/src/img/oyama-path6.jpg)
八本松へ下ると久々ににぎやかな感じに。 コンビニなどの商店もようやく復活して少しホッとします。 その代わりまた車が多いところを歩かなくてはならないのですが。
八本松~西条
日暮れが迫っているようなら八本松でやめようかなとも思っていたのですが,八本松に着いた時点でまだ午後4時前でしたから西条まで行くことにしました。 八本松~西条にも小さな峠が1つあります。 飢坂といういわくありげな名前。
![飢坂頂上](/src/img/katsue-zaka1.jpg)
![飢坂案内板](/src/img/katsue-zaka2.jpg)
案内板によると飢坂の名前の由来には2つ説があり,1つは飢饉の時にこの峠でたくさんの人が亡くなったというイメージそのまんまのものと,もう1つは西条に住んでいた長者の土地が広すぎて,田植えのときに土地の西端であるここにたどり着くころには腹ぺこになっていたというのんきな説。どっちが本当なんでしょうね。
飢坂を越えると西条駅まではもうすぐ。
![四日市宿の町並み](/src/img/yokkaichi1.jpg)
西条駅に着いたのは午後5時すぎ。 所要時間8時間17分,GPS上の距離は34.7kmでした。