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石見銀山街道(尾道ルート):赤名~三次のルート情報

最終更新日:2023-03-28 00:00:00 ※ 街道ルート情報の見方はこちら
  • 赤/橙:ルート,見どころ
  • 黒/灰:難所
  • 黄:迷いポイント
  • 紫:アクセス/エスケープ
  • 青:休憩場所
  • 緑:宿泊施設

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基本データ

注:(往路)は大森→尾道方面、(復路)は尾道→大森方面を表す
距離 29.2km
累積標高 796m(往路)
1087m(復路)
所要時間(4km/h) 09:10:00(往路)
09:40:00(復路)
石見銀山街道(尾道ルート):赤名~三次間標高グラフ

この区間の宿場

布野ふの 布野は広島藩最北の宿場で、赤名峠を控えた交通の要衝として、早くから町が形成されていた。
三次みよし 三次は江の川・西城川・馬洗川の3本が合流する舟運の要衝で、山陰・山陽交易の拠点として古くから栄えた。 銀山からの輸送隊は2泊目を三次でとった。

見どころなど

瀬戸の一里松跡 民家の裏に一里松の切り株が残されている。このあたりは広島と松江の中間地点にあたる。
万右衛門の墓 万右衛門事件の被害者の墓。 万右衛門事件とは、行商人万右衛門が赤名峠で殺された事件。犯人は広瀬藩、被害者は大森藩、現場は藩境のため捜査に手間がかかったらしい。
升屋跡 このあたりは「室」と呼ばれ、赤名と布野の中間の間の宿だった。升屋は伊能忠敬も1811年に泊まった旅籠で、建物が現存している。
福泉坊 1770年ころに植えられた大イチョウが境内にある。福泉坊は布野を収めていた仁井家の菩提寺。
山家一里塚跡 一里松の切り株が残されている。

難所

交通手段

手段 日中の本数
備北交通赤名線 赤名~便坂 1日4本
備北交通作木線 便坂 1日5本
JR芸備線 三次 1時間に1~2本
JR福塩線 三次 1日5本

その他メモ

参考資料