長崎街道:原田~新鳥栖のルート情報
※ 街道ルート情報の見方はこちら
- 赤/橙:ルート,見どころ
- 黒/灰:難所
- 黄:迷いポイント
- 紫:アクセス/エスケープ
- 青:休憩場所
- 緑:宿泊施設
GPXファイルダウンロード
(ジオグラフィカの使い方はこちら/Googleマップの使い方はこちらを参照)
基本データ
注:(往路)は小倉→長崎方面、(復路)は長崎→小倉方面を表す
距離 |
13.5km |
累積標高 |
144m(往路) |
177m(復路) |
所要時間(4km/h) |
3:40(往路) |
3:40(復路) |
この区間の宿場
田代宿 |
田代宿は対馬藩の飛び地の田代領にあった宿場で、久留米道との分岐にあたっていた。宿場には市が立ち、なかでも売薬が盛んで、田代売薬は富山・大和・近江と並んで四大売薬の一つとされた。対馬藩が朝鮮貿易により大陸の医学が伝わっていたことが発展の理由の一つとされる。 |
轟木宿 |
轟木宿は鍋島藩領と対馬藩領との境にする宿場だった。鍋島藩は二重鎖国体制をとっており、宿の入口に番所を置いて旅人のチェックを行なった。伊能忠敬は日子神社の側にあった高札場を長崎街道測量の起点にしている。 |
見どころ
天本家住宅 |
土蔵柱に弘化3年(1846)の墨書があり、主屋も同時期のものと思われる。田代売薬の商家として栄え、対馬藩から「法奇応丸」の看板を許されている。 |
難所
交通手段
その他メモ