長崎街道:筑前内野~原田のルート情報
最終更新日:2022-11-05 00:00:00
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基本データ
注:(往路)は小倉→長崎方面、(復路)は長崎→小倉方面を表す
距離 |
16.0km |
累積標高 |
446m(往路) |
480m(復路) |
所要時間(4km/h) |
04:50:00(往路) |
04:50:00(復路) |
この区間の宿場
内野宿 |
1612年(慶長17年)に作られた。国道から外れており、古い町並みが残る宿場。御茶屋へ向かう三差路が宿の中心で三差路から小倉側を下町、長崎側を上町と呼んだ。御茶屋へ向かう道は太宰府まで続く。福岡藩主は内野宿を狩りの拠点としても利用していた。冷水峠越えを控えた宿場でもあった。 |
山家宿 |
山家宿は慶長16年(1611)ころには成立していたと考えられる。冷水峠越えを控えた宿場で、上町・横町(仲町)・新町の3町で構成される。上町→横町→新町の順に町並みができた。 |
原田宿 |
原田宿は筑前・筑後・肥前の境目にあたる。小ぶりの塩あん餅「はらふと餅」が名物だった。 |
見どころなど
歴史の道100選 |
内野宿、冷水峠の旧道部分、山家宿が歴史の道100選に選定されている。 |
内野宿東構口 |
内野宿の東口。石垣が若干残る。 |
内野宿展示館(肥前屋) |
内野宿に関する資料が展示されている。火・水定休日。 |
冷水峠の石畳 |
石畳がよく保存されている。 |
首なし地蔵 |
冷水峠にある首のない地蔵。ここの清水が峠の名前の由来。以下伝承。昔ある者がここで旅人を殺害した。地蔵に誰にも言うなと言ったところ、地蔵が「ワシは言わぬがわれ言うな」としゃべり、驚いて地蔵の首を落として逃げた。何年か後にこの者が二人連れでここを通りかかり、旅人を殺したことを自慢げに語った。連れの男は殺された旅人の縁者で仇討ちが行なわれたという。 |
茶釜石 |
形状が茶釜に似ているため旅人の目印になった。現在のものは当時のものとは違うという話もある。 |
大日峠(椎木坂) |
大日峠の名前の由来は、この付近に大日如来碑があることから。付近には比翼塚もある。以下比翼塚の由来。中津藩士渡辺金十郎の妻は、夫の留守中に金十郎の甥と密通して長崎へ逃げだした。しかしここで追ってきた金十郎に殺されたというもの。 |
山家宿郡屋跡 |
土蔵など郡屋の建物が残る。土蔵は市の文化財指定を受けており、柱を1本も使っていない珍しいつくり。郡屋とは宿場の役人の会議場的存在。 |
山家宿西構口 |
当時の土塀が残されている。完全な形で残されているのは長崎街道ではここだけ。道幅も当時のまま。 |
伯東寺 |
原田宿内。境内に原田宿の名物「はらふと餅」をついたと伝えられる石臼がある。餅屋自体は東構口の外にあったそう。
また、三国峠で行き倒れの無縁仏を祀った宝篋印塔が移設されている。 |
難所
交通手段
手段 |
駅 |
日中の本数 |
メモ |
JR筑豊本線 |
筑前内野~原田 |
1時間に2~3本 |
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その他メモ
参考資料