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長崎街道:肥前古賀~長崎のルート情報

最終更新日:2024-03-12 22:00:00 ※ 街道ルート情報の見方はこちら
  • 赤/橙:ルート,見どころ
  • 黒/灰:難所
  • 黄:迷いポイント
  • 紫:アクセス/エスケープ
  • 青:休憩場所
  • 緑:宿泊施設

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基本データ

注:(往路)は小倉→長崎方面、(復路)は長崎→小倉方面を表す
距離 13.2km
累積標高 447m(往路)
452m(復路)
所要時間(4km/h) 04:10:00(往路)
04:20:00(復路)
長崎街道:肥前古賀~長崎間標高グラフ

この区間の宿場

矢上宿やがみ 矢上宿は宿場であると同時に長崎警備の要所で、役屋敷や番所が設けられていた。明治時代に新道を通したため当時の様子はあまり残されていない。
日見宿ひみ 日見宿は長崎に入る最後の宿場で、長崎入りに備えて準備をする宿場として重要だった。 また、長崎から旅立つ人を見送る場所でもあった。

見どころなど

教宗寺 勝海舟、シーボルト、坂本龍馬も昼食をとった場所
矢上八幡神社 番所役人が詰めており矢上宿の中心地だった。大楠が残る。
諫早領役屋敷跡 当時の石垣が現存している。
腹切坂 当時このあたりは海沿いの崖だった。名前の由来は、険しい山腹を切り開いて作ったことから。 日見の町人に棒術の使い手がおり、彼にある侍が試合を申し込んだが負け、このあたりで切腹した、フェートン号事件で佐賀藩家老が切腹したのがこの坂だったという説もある。[1]
三国屋橋 日見宿で三国屋という酒屋を営んでいた五郎七は飛脚も務めていた。あるとき急ぎの書状を届けるため荒れた川を泳いで渡り代官から「欲しいものはないか」と問われたところ、「川に橋がほしい」と三国屋橋をつくってもらったという言い伝えが残る。[1]
日見峠 歴史の道100選に選ばれている。当時の面影が残されている。
一の瀬橋 1653年に架けられた橋で一度も崩壊したことがないという。[2]

難所

交通手段

手段 日中の本数
JR西九州新幹線 長崎 1時間に1~2本
JR長崎本線 肥前古賀、長崎 1時間に1~4本

その他メモ

参考資料

  1. めがねのコクラヤ:日見宿から日見峠を歩く
  2. めがねのコクラヤ:長崎