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羽州街道:及位~湯沢のルート情報

最終更新日:2024-01-18 21:15:00 ※ 街道ルート情報の見方はこちら
  • 赤/橙:ルート,見どころ
  • 黒/灰:難所
  • 黄:迷いポイント
  • 紫:交通手段
  • 青:休憩場所
  • 緑:宿泊施設

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基本データ

注:(往路)は桑折→油川方面、(復路)は油川→桑折方面を表す
距離 26.4km
累積標高 458m(往路)
635m(復路)
所要時間(4km/h) 07:30:00(往路)
08:00:00(復路)
羽州街道:及位~湯沢間標高グラフ

この区間の宿場

下院内宿しもいんない 院内は国境にあたり、院内銀山も近いことから隣村の上院内には番所が置かれていた。
湯沢宿ゆざわ 湯沢は湯沢城の城下町として成立したが、一国一城令で湯沢城は廃城となった。 佐竹氏が秋田へ転封にともない湯沢には南家が入り、現在の湯沢市役所付近に屋敷をかまえてこの地を治めた。

見どころなど

愛宕神社 秋田藩から多くの寄進を受けていた秋田藩12社のうちの一つ。街道を利用する藩士も参拝していたという。[1]
石秀庵 高橋正作の家 当時この地域の肝煎(村長)だった高橋正作が安政5年(1858)に建てた自宅が残る。 高橋正作は天保の大飢饉(1833)で私財をなげうち餓死者を一人も出さなかったほか、院内銀山の復活にも貢献した人物。[2]
殿清水跡 ここにあるヒノキの根元から良い清水が湧いており殿様も飲んでいたことが名前の由来。昭和22年の洪水以後に消滅したらしい。 菅江真澄の『雪の出羽路』にも書かれていたという話もある。[3]
御機嫌坂 秋田藩初代藩主佐竹義宣は水戸から秋田に国替えになった際、失意のなか秋田へ入った。しかし、ここの坂まできて仙北平野の豊かな風景を目にしてたちまち機嫌を直したことから名付けられた坂。
愛宕町一里塚 一里塚のうち西塚が残る。塚木は樹齢約400年以上のケヤキで県指定史跡。このあたりは湯沢宿の南口でもあった。[4]

難所

交通手段

手段 日中の本数 メモ
JR奥羽本線 及位~湯沢 1~4時間に1本

その他メモ

参考資料

  1. 秋田県WEB観光案内所 秋田藩:佐竹氏の崇敬社
  2. Wikipedia 高橋正作
  3. 百街道一歩の道中記・祭探訪 羽州街道11及位(のぞき)~三関
  4. 湯沢市 一里塚