街道松や一里塚ってなに?
街道松や一里塚や,石畳など街道で整備されたものについて説明します。
道幅の拡幅
まず江戸以前と比べて道幅が広げられました。 道幅は場所によってまちまちで2間半~4間(1間=約1.8m)くらいが多かったようですが,山間部ではさらに狭くなったり逆に江戸近くでは5間もありました。
よく外国人の手記に「日本の街道は素晴らしくきれいだった」という記述があります。これは参勤交代など重要な通行がある前には街道をきれいにしなさいという指示があったようです。 このように道路のメンテナンスもマメに行われていました。
並木道(街道松,松並木)
日差しや強風から旅人を守るために街道沿いに木が植えられました。 街道といえば街道松,松並木という言葉に表されるように「松」が第一に浮かぶかもしれませんが,その土地に応じて杉や竹なども植えられていました。 例えば箱根のような高所では松より杉が育ちやすいということで杉が植えられています。
かつては至るところにあったこれらの並木も,道路拡張などの開発で激減しています。 また特に松は樹齢的にも生存が厳しく,枯死するものも多いです。 20~30年前の本に「街道松がある」と書かれていても,現在はなくなっていることがしばしばあります。 今のうちにしっかりと見ておきましょう。
一里塚
街道の起点から一里(約4km)ごとに目印になる塚を作りました。 街道の両側に小さな丘などを作ってその上に木を植えました。 場所によっては木杭だけというところもあったようです。
ほとんどのものは時代とともに破壊されてしまいましたが,今でも現存しているものがわずかにあります。 また一里塚があった場所には石碑等が設置されていることが多く,現代の街道歩きでも旅の目安として役立っています。
追分
分岐のことです。 今でもそうですがこうした分岐点・結節点は交通の要衝として栄える傾向にあります。
当時も例外ではなく大きな街道同士の追分付近には宿場が,大きな街道ではない場合でも立場が設けられることが多いです。
今でも道標などが残っていることがあります。
石畳
江戸時代の街道は基本的に非舗装です。 乾燥して砂埃がひどい・・・ぐらいならまだよいのですが,本当に困るのは雨の時。 ぬかるみで歩くのが困難になり,特に坂道では馬が進めなくなることもあったのだそうで。 箱根峠では雨が降ると膝まで泥に埋まっていたのだとか。
そのため峠道には石畳が整備されるようになりました。 これも現存しているところはそれほどないので,あればラッキーです。
ちなみにこの石畳道,歩いてみると思いのほか歩きにくいです。 路面がデコボコしているので晴れた日も快適には歩けませんし,雨の日は雨の日で滑ります。 でもこの石畳は峠越えの画期だったそうなので,それまでの峠越えというのがいかに大変だったのかがわかります。