街道の歩き方
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東海道:新安城~宮宿のルート情報

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  • 紫:交通手段
  • 青:休憩場所
  • 緑:宿泊施設

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基本データ

注:(西)は東京→京都方面,(東)は京都→東京方面を表す
距離 24.7km
累積標高(西) +136m,-154m
所要時間(4km/h) 6時間20分(西/東)
東海道:新安城~宮宿間標高グラフ

この区間の宿場

知立(池鯉鮒)ちりゅう宿 現在は「知立」と書くが江戸時代には「池鯉鮒」と書かれることが多かった。知立神社の池に鯉や鮒が多く住んでいたことが名前の由来。木綿が特産で、木綿の運搬用に馬市が立つようになった。浮世絵「東海道五十三次 池鯉鮒」にも馬市の様子が描かれている。
鳴海なるみ宿 当時は海辺が近く潮騒が聞こえていたことが名前の由来。有松と並んでしぼりが有名で現在も伝統産業として続いている。
みや宿 「宮」とは熱田神宮のこと。熱田神宮の門前町,東海道・佐屋街道・美濃街道の結節点,七里の渡しに代表される重要港などとして大いに栄えた。東海道最大の宿場で旅籠の数は240軒あまりを数えた。

見どころなど

来迎寺一里塚 岡崎宿~知立宿間,一里塚が両塚とも現存。北塚がやや崩れているが原形を保つ。南塚は地元の努力により原形復帰されている。
知立松並木 約400mにわたり松並木が残る。
阿野一里塚 知立宿~鳴海宿間。一里塚が両塚とも現存。
間の宿有松の町並み 古い商家がかなり残っている素晴らしい町並み。有松は知立宿と鳴海宿間の間の宿だった。
笠寺一里塚 鳴海宿近く,一里塚のうち東塚が現存している。
丹羽家住宅 宮宿内。脇本陣格の旅籠だった建物が残っている。破風付きの玄関などに格式ある面影を残す。

難所

アクセス・エスケープルート

都市部のため省略

その他メモ

現存一里塚がたくさんある地域です。 一里塚もなかなか現存していないので,見れたらラッキーですよ。

この先当時は船で桑名まで行く(七里の渡し)のですが,今はそんな船便はないので佐屋街道を使って桑名まで行きます。

また都市部のため休憩ポイント(コンビニ),アクセス・エスケープルートは省略しています。