奥州街道:仙台~吉岡のルート情報
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基本データ
注:(北)は東京→青森方面、(南)は青森→東京方面を表す
距離 |
23.5km |
累積標高(北) |
+338m、-357m |
所要時間(4km/h) |
6時間10分(北) |
6時間10分(南) |
この区間の宿場
仙台城下 |
奥州街道の一大拠点。政治・経済・交通の中心地として大変栄えた。ここから南を「江戸往還道」「江戸道中」、北を「奥道中」などとも呼んだ。 |
七北田宿 |
宿場を開いた当初は七北田村だけで、後に市名坂村も加えられたため七北田村側を上町、市名坂村側を新町、下町とも呼んだ。宿場の面影はほとんど残っていない。 |
富谷宿 |
富谷新町宿とも呼ばれた。1620年(元和6年)に黒川氏の元家老だった内ヶ崎筑後(内ヶ崎織部)によって宿場が開設された。かつては富谷茶と呼ばれる茶の産地だった。地元の方々が宿場の雰囲気を残そうと努力している。 |
見どころなど
芭蕉の辻 |
仙台城下の中心地で、このあたりに高札場や問屋(馬継場)もあった。ここから南を「江戸往還道」「江戸道中」、北を「奥道中」などとも呼んだ。ちなみに松尾芭蕉とは関係がない。 |
元祖 仙臺駄菓子本舗 熊谷屋 |
1695(元禄8年)年創業、仙台駄菓子の老舗 |
佐大ギャラリー |
堤焼、堤人形を展示している。堤町は仙台の北の玄関口で足軽が居住していた。堤焼は江戸時代半ばに足軽の副業として始められたもの。また堤町には御仲下改所(おすあいどころ)が置かれ、城下に持ち込まれる商品から関税を徴収していた。 |
仙台藩刑場跡 |
1690年(元禄3年)ころ米ヶ袋から移転。以来明治までの180年間、ここで数千人に及ぶ処刑が行われた。 |
大清水の石盥 |
仙台藩5代藩主伊達吉村が狩りの途中でしばしば利用したと伝えられる。現在は残念ながら飲用不可。 |
内ヶ崎酒造店 |
内ヶ崎酒造店は1661年(寛文元年)創業で宮城県内最古の酒蔵。内ヶ崎家は富谷宿の本陣で、さらに検断・札場も兼ねていた。 |
一里塚跡 |
吉岡宿近くの国道4号線沿いにある。縮小版の一里塚が復元されている。 |
難所
アクセス・エスケープルート
その他メモ