奥州街道:白河~鏡石のルート情報
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基本データ
注:(北)は東京→青森方面、(南)は青森→東京方面を表す
距離 |
21.0km |
累積標高(北) |
+231m、-312m |
所要時間(4km/h) |
5時間20分(北) |
5時間30分(南) |
この区間の宿場
白河宿 |
白河藩の城下町として栄えた。 |
根田宿 |
根田宿は、根田村と東に続く新小萱村の2村で構成される宿だった。本陣などはなく、人馬継立の伝馬も常備されていなかったとされる。戊辰戦争のため町並みはほとんど残っていない。 |
小田川宿 |
小田川宿に本陣や脇本陣はなく、問屋場しかなかった。 |
太田川宿 |
太田川宿も、戊辰戦争で町並みはほとんど焼けてしまっている。 |
踏瀬宿 |
古い町並みがいくらか残っている。 |
大和久宿 |
大和久宿は、元和元年(1620)ころに堀越地区の住人を移転させて作った。このあたりの宿場間隔はかなり近いが、中でもこの大和久宿と中畑新田宿は、直線で1kmも離れておらず、宿場の境もあいまいなほど。ここも何度も大火に遭ったため町並みはほとんど残っていない。 |
中畑新田宿 |
大和久宿と同様に、中畑新田宿毛慶長年間(1596~1615)に中畑村の住人を移転させて宿駅とし、さらにその後の元和6年(1626)に現在地に移転した。常磐街道との合流点にあたり交通の要衝ではあるが、数度の大火などで衰え、宿駅機能の中心は矢吹宿に移ったとされる。 |
矢吹宿 |
矢吹宿は、天正6年(1578)に宿駅として開かれた。街道由来の史跡がいくつか残されている。 |
久来石宿 |
久来石宿は、慶長年間に小栗山の住人を移転させて作った。 |
笠石宿 |
笠石宿は、慶長年間に森宿、行方野、細谷、笠石新田の4村が移転して開設された。 |
見どころなど
脇本陣柳家 |
白河宿。文化元年(1804)築の蔵座敷が現存しており、庭園・井戸などと合わせて脇本陣の一部を見学可能。ここには新選組も宿泊している。料金無料、月曜休館。 |
玉家菓子店 |
白河宿。文久3年(1863)創業の菓子屋。白河藩の御用達。 |
根田醤油合名会社 |
根田宿。江戸後期創業。趣のある土蔵などが残る。 |
踏瀬旧国道松並木 |
踏瀬宿~大和久宿間。松並木が約700mにわたって続く。 |
大木代吉本店 |
矢吹宿。江戸末期までは味噌醤油業だったが、慶応元年(1865)に酒造業に転業。戊辰戦争時には落ち武者に酒を振る舞ったそう。 |
古宿 |
矢吹宿~久来石宿間。矢吹名物だった大根そばを提供している。 |
難所
アクセス・エスケープルート
手段 |
駅 |
日中の本数 |
JR東北本線 |
白河~鏡石 |
1時間に1~2本 |
その他メモ