石見銀山街道(大森~尾道ルート):大森~粕渕のルート情報
※ 街道ルート情報の見方はこちら
- 赤/橙:ルート,見どころ
- 黒/灰:難所
- 黄:迷いポイント
- 紫:アクセス/エスケープ
- 青:休憩場所
- 緑:宿泊施設
GPXファイルダウンロード
(ジオグラフィカの使い方はこちら/Googleマップの使い方はこちらを参照)
基本データ
注:(往路)は大森→尾道方面、(復路)は尾道→大森方面を表す
距離 |
18.1km |
累積標高 |
889m(往路) |
939m(復路) |
所要時間(4km/h) |
6:40(往路) |
6:40(復路) |
この区間の宿場
見どころ
旧河島家(武家屋敷) |
河島家は大森代官所に勤めた役人だった。1800年代初頭に建てられた家屋が残る。大人200円、火曜休館。 |
いも代官ミュージアム(石見銀山資料館) |
大森代官所跡に建っており、石見銀山の歴史や文化についての展示がある。大人550円、火・水曜休館。 |
熊谷家住宅 |
熊谷家は町年寄を務めるなど、大森で影響のある家だった。1801年(享和元年)に建造された家屋が残る。大人520円、火曜休館。 |
箱茂のお松 |
当時このあたりは立場(休憩場所)で「箱茂のお松」と呼ばれる松があった。現在の松は3代目にあたる。ある魚売りが行商から帰るたびに女房に箱茂のお松のことを「お松が」と話していたところ、女房が「お松」を浮気相手と邪推して呪いをかけて枯らしたという伝説が残る。 |
やなしお道 |
国の史跡で歴史の道百選にも選ばれている。全長約7km。名前の由来は、多くの塩を運んだことにちなむ「八名塩」。文献での初出は天正9年(1354)だが、南北朝時代にはすでに使われていたようだ。戦国時代には毛利氏の石見への侵攻路としても使われた。
やなしお道沿いは銀の精錬に使用する木炭生産地で、現在もコナラが主体の山林となっている。 |
十王堂跡 |
茶屋もあった。辺りは竹林だが、街道は版築工法でつくられたため、竹が生えていない。 |
茶縁原 |
三瓶山がよく見える場所。 |
水溜場跡 |
やなしお道沿いに数か所残る水溜場跡の一つ。共用のため池として利用され、人馬の飲み水にもなっていた。 |
茶屋屋敷跡 |
馬に水を飲ませた水溜場が残る。 |
一里塚跡 |
一里松の切り株と塚の跡が残されている。 |
大名石 |
荷物置場として使われていた「荷置き石」の一つ。 |
難所
八名塩坂 |
約1Kmで標高差300mある。当時からここは難所として知られ、人足賃の割増も認められていた。
坂の途中には旅人の休憩場所だった荷置石なども残されている。 |
交通手段
その他メモ