羽州街道:大石田~新庄のルート情報
最終更新日:2024-01-12 20:22:00
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基本データ
注:(往路)は桑折→油川方面、(復路)は油川→桑折方面を表す
距離 |
23.6km |
累積標高 |
483m(往路) |
479m(復路) |
所要時間(4km/h) |
07:00:00(往路) |
07:00:00(復路) |
この区間の宿場
尾花沢宿 |
尾花沢は交通の要衝で、六斎市や馬市が開かれるなど商業が盛んだった。
宿は上町・中町・梺町の3つに分かれて人馬継立を担当していた。 |
名木沢宿 |
名木沢宿は猿羽根峠を控えた宿場で、秋田藩佐竹氏により整備が進められた。
本陣、問屋などを務めた国分織部家は今でも「親方様」で通じるという。[2] |
舟形宿 |
舟形宿は猿羽根峠や小国川の渡しを控えた宿場で、川止めの際はにぎわったという。
また、舟形宿は新庄藩と尾花沢天領の境目にあたるため、新庄藩の番所も置かれていた。 |
新庄城下 |
新庄城下は新庄藩戸沢氏の城下町だった。宿場機能があったのは南本町・北本町で、本陣・問屋は両町にそれぞれ置かれた。 |
見どころなど
芭蕉、清風歴史資料館(鈴木清風邸跡) |
松尾芭蕉や、芭蕉と交流のあった尾花沢の豪商鈴木清風に関する資料館。資料館の建物は旧丸屋・鈴木弥兵衛宅を清風宅の隣に移転復元したもの。
入館料大人210円、水曜日休館。 |
養泉寺 |
松尾芭蕉が尾花沢を訪れた際に7泊した寺。境内には宝暦12年(1762)建立の句碑がある。[1] |
鳥越の一里塚 |
一里塚が残る。塚木は樹齢300年以上のブナで、ブナの塚木は全国的にも珍しいそう。また、塚は五角形だったというが現在は不明瞭。[3] |
芭蕉の句碑と柳の清水跡 |
昭和前期まで湧き出ていた清水の跡。松尾芭蕉もこの清水を飲んだのではないかと想像される。新庄市指定史跡。 |
難所
交通手段
その他メモ
参考資料
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尾花沢市教育委員会『
鈴木清風ものしりシート 』,2010年
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藤原優太郎『
羽州街道をゆく 』無明舎出版,2002年, P28
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新庄市 鳥越一里塚のブナ