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羽州街道:横手~大曲のルート情報

最終更新日:2024-01-19 22:52:00 ※ 街道ルート情報の見方はこちら
  • 赤/橙:ルート,見どころ
  • 黒/灰:難所
  • 黄:迷いポイント
  • 紫:交通手段
  • 青:休憩場所
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基本データ

注:(往路)は桑折→油川方面、(復路)は油川→桑折方面を表す
距離 24.2km
累積標高 206m(往路)
248m(復路)
所要時間(4km/h) 06:20:00(往路)
06:30:00(復路)
羽州街道:横手~大曲間標高グラフ

この区間の宿場

横手城下よこて 横手は横手城の城下町として発展した。宿場機能は大町周辺に置かれた。 商業の中心は鍛冶町や四日町周辺だった。鍛冶町は元禄以前に東側を二日町、西側を五日町と呼んでおり定期市が立っていた。年に一度は馬市も開かれており、江戸から幕府の馬取り衆が将軍御用馬を求めてくるほどの評判だった。 四日町も十二斎市が立てられるなどにぎわっており、木綿を扱う大店が並んでいた。
金沢宿かねざわ 金沢は金沢本町と金沢中野村に分かれており、人馬継立は交代で行なっていた。
六郷宿ろくごう 六郷宿は羽州街道の中間地点にあたり、角館街道、角間川街道が出会う交通の要衝だった。ここで仕分けられた物資は川ノ目で船に積み替えられて雄物川を下り、秋田市内の港である土崎へ送られた。 六郷は秋田藩初代藩主佐竹義宣の父義重が晩年を過ごした場所でもある。義重は六郷を秋田藩の中心にしたいと考えていたほど気に入っていたらしい。
大曲宿おおまがり 大曲はもともと「大麻刈」と書かれていたが江戸中期に大曲に改められた。仙北平野の商業の中心地で、水陸交通の要衝として栄えた。 宿場機能は花館宿と合宿で、分担して人馬継立を行なった。本陣や大曲にある丸子橋の経費も折半していた。

見どころなど

六郷一里塚 一里塚に植えられたケヤキの塚木が現存している。当時は北塚にケヤキ、南塚にサイカチが植えられていた。

難所

交通手段

手段 日中の本数 メモ
JR北上線 横手 2~4時間に1本
JR奥羽本線 横手~大曲 1時間に1本
JR田沢湖線 大曲 2~4時間に1本
JR秋田新幹線 大曲 1時間に1~2本
JR田沢湖線 大曲 2~4時間に1本

その他メモ

参考資料