三国街道:高崎~金島のルート情報
最終更新日:2023-05-15 00:00:00
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基本データ
注:(往路)は高崎→寺泊方面、(復路)は寺泊→高崎方面を表す
距離 |
24.9km |
累積標高 |
356m(往路) |
227m(復路) |
所要時間(4km/h) |
06:50:00(往路) |
06:40:00(復路) |
この区間の宿場
金古宿 |
金古宿には当時200~400軒の人家があった。問屋は3軒あり、交替で人馬継立を行なっていた。浅間山の噴火や、高崎や渋川に近いため宿泊客は多くなかったため、宿場の経営は苦しかった模様。
伊能忠敬も三国街道を測量した1803年に金古宿で宿泊した。 |
渋川宿 |
渋川宿は佐渡奉行街道、伊香保街道の分岐点で上ノ町、中ノ町、下ノ町による六斎市が開かれるなどにぎわった。
本陣、脇本陣は設置されず旅籠が5軒あるのみだったが、家屋は300~400軒、芝居小屋などが立ち並んでおり町の規模は大きかった。
古い町並みはあまり残されていない。 |
金井宿 |
金井宿は吾妻川の渡しを控えており、川止め時にはにぎわった。川止めに備えて本陣跡には地下牢も設けられていた。出水時は20km上流の橋まで遠回りすることもあったそう。
現在も大農家風の建物が立ち並んでおり、建物の裏には用水が当時のまま流れている。 |
見どころなど
金古代官所跡 |
金古宿内。母屋、表門、牢屋、土蔵などが残る。特に表門には1868年(慶応4年)の一揆でできた傷が残されている。群馬県指定重要文化財だが、近年荒廃が進んでいる。 |
堀口家住宅 |
渋川宿内。堀口家は1629年(寛永6年)創業の金物店。1866年(慶応2年)に建てられた建物が残されている。国登録有形文化財。 |
金井宿本陣の地下牢 |
金井宿本陣に設置されていた地下牢が残されている。本陣に地下牢があったのは、佐渡送りの罪人を留置するため。 |
杢ヶ橋関所 |
金井宿~北牧宿間。杢ヶ橋関所は吾妻川の金井宿側に設けられ、上野国では中山道の碓井関所に次ぐ重要な関所とされた。
関守の役宅が現存しており群馬系指定史跡になっている。 |
難所
交通手段
その他メモ
参考資料