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萩往還:佐々並~山口のルート情報

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基本データ

注:(往路)は萩→防府方面、(復路)は防府→萩方面を表す
距離 15.9km
累積標高 562m(往路)
760m(復路)
所要時間(4km/h) 5:10(往路)
5:30(復路)
萩往還:佐々並~山口間標高グラフ

この区間の宿場

佐々並市ささなみ 佐々並市は御茶屋などの整備されていた。明治9年(1876)に起きた萩の乱で多くが焼失したが、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
山口やまぐち 山口は大内氏の本拠地として発展した。江戸時代に入ってからは政治の中心地が萩に移ったが、山口は交通の要衝として栄えた。幕末に山口に藩庁が移されてからは、長州藩による討幕運動の拠点となった。

見どころ

歴史の道100選 一ノ坂周辺が歴史の道100選に選定されている。
佐々並市頭一里塚跡
首切れ地蔵 殺された主人の仇討ちを願っていた使用人が、お告げにより地蔵の頭を見つけたため供養したところ、仇討ちが叶ったというもの。
上長瀬一里塚跡 石積みが残る。県指定史跡。
キンチヂミの清水 夏場にはここに掛茶屋が出されており、ところてんが名物だった。名前の由来は冷たい清水で冷やされて食べると金玉が縮むことから。
六軒茶屋(一の坂駕籠立場跡) 駕籠立場にあった茶屋が復元されている。名前の由来は萩往還で一番険しいことから。当時は佐々並市から山口までの間の民家は、ここにしかなかった。
四十二の曲がり 一の坂。つづら折れが続く。
天花畑(てんげはた)坂口の石畳 一の坂。
安倍家脇本陣跡 安倍家は豪商であるとともに山口大年寄格として町政を担っていた。脇本陣として藩主一族の宿舎として使われた。西郷隆盛、小松帯刀が山口を訪れた際はここに宿泊している。

難所

交通手段

手段 日中の本数
中国JRバス 佐々並~中作、山口駅 1~2時間に1本
JR山口線 山口 1時間に1~2本

その他メモ

参考資料