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旧山陰道のルート情報

最終更新日:2024-07-11 21:45:44 ※ 街道ルート情報の見方はこちら
旧山陰道:全体標高グラフ
旧山陰道全体の標高グラフです。

ルート情報

※主要駅や約20kmごとの鉄道駅などで区切ってあります
区間 宿場など
京都~亀岡 樫原宿,亀山城下
亀岡~宮川
宮川~福住 福住宿
福住~篠山 篠山城下
篠山~柏原 追入宿
柏原~佐治 柏原宿,佐治宿
佐治~和田山 和田山宿,遠阪宿,梁瀬宿
和田山~関宮
関宮~村岡 村岡宿,福岡宿
村岡~湯村温泉
湯村温泉~岩美
岩美~鳥取 鳥取城下
鳥取~宝木
宝木~泊 母木新町宿,青屋宿,泊宿
泊~由良 橋津宿,長瀬宿
由良~下市 由良宿,八橋宿,赤碕宿
下市~淀江 下市宿,御来屋宿,淀江宿
淀江~米子 米子城下
米子~荒島 安来宿
荒島~松江 出雲郷宿
松江~宍道 松江城下

旧山陰道の概要

江戸時代の旧山陰道は全体的に整備されていたとはいえません。 参勤交代は旧山陰道ではなく山陰と山陽を結ぶ陰陽連絡道を使って、とりあえず山陽まで出てから旧山陽道などを使う藩が多かったからです。 例えば、松江藩は松江から米子までは旧山陰道を使い、そこから陰陽連絡道である出雲往来を利用して姫路へ向かっていました。 石見銀山からの銀の輸送も旧山陰道ではなく陰陽連絡道を使うルートが使われています。 また、山陰には西廻り航路の港が点在しており、港と町を結ぶ街道として旧山陰道が利用されていました。 旧山陰道は、山陰道、山陰路、丹波街道、丹州街道、丹波路、丹州路などと呼ばれていました。 明治時代に入ってから山陰街道に統一されています。[4] また、但馬往来、伯耆往来、伯耆道、伯州道、米子道などとも呼ばれています。[3] 本サイトでは現在の山陰道(山陰自動車道)と区別するため旧山陰道と呼んでいます。

ルートおよび全体的な参考資料

  1. 日本の街道地図と走り歩き旅
  2. 河出書房新社・東京カートグラフィック WEB版デジタル伊能図
  3. 兵庫県教育委員会『 歴史の道調査報告書集成9 近畿地方の歴史の道9 兵庫1 』海路書院,2006年
  4. 公益社団法人中国地方総合研究センター編『 「道」の文化史 』中国地方総合研究センター,2013年, P185-186
  5. Wikipedia 山陰街道